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2023/03/02

更新日:2023年3月5日


2月4日には、3年越しとなるシティブランディングセミナーが実施できました。関係者のみなさま、本当にありがとうございました。20年くらいずっと客観的に桐生を見てきた視点で、桐生のシティブランディングの方向性について、個人的な意見としてまとめてみたいと思います。ただ、学生たちにも伝えていますが、おじさんの言うことなんて聞かない方がいいです。うまく使うのはありです。


◯<言葉の意味より、言葉の意図>

2000年、僕は住んでいた滋賀から群馬に戻り、「すたんぴーど」という雑誌のライターをしながら1年間過ごしていた時期があります。そこで、県内各地を回って取材をして、群馬県が持つポテンシャルに気付きました。やっぱり一番の成長株は現みなかみ町。当時は、月夜野町という素敵な名前でした。すでに、どこに行ったかは覚えてないけど、何かの記事を書いた記憶はあります。食を中心に施設やレースやスポーツイベント、住宅建築の取材もしていました。”月夜野”という名称が無くなるのはもったいないと思ったけど、見事にブランディングされた印象です。みなかみになってから行ったことがないんですけど。


取材先で桐生の高校(とは言っても端っこ)出身というと、「桐生っていいよね、羨ましい」って言う反応の多いこと多いこと。確かに、実際に、色々な地域を見ても面白かったのが桐生です。なので、ちょっと嬉しくもなり、当時、良く言われたのが、「桐生のポテンシャルすごい」でした。僕も使っていた言葉でした。


そこから、「街の中に暮らす」という実験がスタートします。


商店街の中に場所を借りて、タウン誌を発刊したり、ラジオ局の開局や運営に関わったり、地場産業に関わったり、起業支援、創業支援、ビジネス支援にも関わったり。色々と関わりました。関わっては離れたり、辞めたり、変えてみたりしながら、今も「実験」をしています。自由でいたいというのもあるかもだけど、いつでもそれを捨てる覚悟を持ってやってます。なのでネタも数知れず、いろいろな目にも遭遇しました。



今回のセミナーを通して感じたのが、やっぱり「桐生のポテンシャルすごい」でした。


僕が20年前にこの言葉を使った意図は、「ポテンシャル活かせてなくて残念だなぁ」という想いが背景にあったのですが、20年経って改めて見ても、同じ言葉が浮かびました。


◯<”運”は実力のうちか?実力が”運”を呼ぶのか?>


地域によっては様々な追い風がありましたが、高崎、太田、富岡、館林、邑楽、伊勢崎、玉村、藤岡など、取材した当時と比べると、いろいろな変化があったように思います。街がアップデートしていく感じがあります。桐生はハード面がどんどん衰退していってます。中心市街地に空き地も随分増えました。ハードとソフトのバランスの中でアップデートできたのはやはり前橋。前橋に「めぶく」が定着したことは大きいです。皆が、それを活かそうとしています。


そのあたりはこちらの動画がわかりやすいです。


GIAやGISを仕掛けてきた田中仁さんという起業家がいたからうまくいったのか?と考えたくもあるわけですが、それは「人」を中心に置いた場合の発想です。それを、「人」ではなく、「土地」を中心に置いてみると、見え方が変わります。


桐生に限ったことではなく、日本の各地には長い歴史があります。その歴史の中、その時代の中で、色々な営みがあり、その中での「役割」を、代々「人」が担ってました。だから、街は続いているのです。それぞれがそれぞれの役割で、街の営みに関わるから、街やその土地が変化しながら継続していけるのです。そのように「土地」を中心におくと、「役割」は時代と共に変わっていくことに気づきます。選手交代は必須です。野球でもそうです。先発がいて、リリーフが居て、抑えがいます。地域を野球の試合に例えたら、今はずっと試合中です。桐生に今、暮らしている人も、これから暮らす人も、全員がリリーフなのです。


「球都桐生、全員リリーフ。」


というポスターを作って貼るくらい振り切った方がいいです。ボロボロに打たれているのに、エースだからマウンドにしがみ付いていたらチームのみんなのやる気がなくなりますよね。それを社会では「老害」って言うのかなと思います。


「球都」で盛り上がる人たちも一定数いるでしょう。でも、野球に興味のない人もいます。そうなると、”シティブランディング”という点からするとちょっと使いにくいです。加えて、先ほど使った”追い風”という言葉。多くの人はそれを運と言いますが、甲子園の聖地であれば、ずっとフォローの風は吹いてそうです。桐生が全国に通用する”球都”としての追い風が吹くかはなかなか難しそうです。


そこで次の視点は”風に乗る”です。


”風はどこかに吹いている”と考えたら、逆に風をつかめばいいのかなと思います。群馬県にはある追い風が吹いてます。それがデジタル県という構想です。


日本の人口は減ります。桐生の人口も減っています。人口が減っていく中で、今の行政サービスは、どのように維持できるか?指定管理者制もその一つでしたが、中の人の意識が変わらないと、結局、役所っぽいものがどんどん増えるだけで使いにくいです。そるなるともうデジタルしかないのです。デジタルで効率化。これしかありません。


国はデジタル庁を作りました。その意図はこちらで。


マイナンバーカードがあれば、いろいろなことが効率化されるというメリットも重要ですが、そこを強調するあまり、中身の説明が追いついてない気がします。マイナンバーカードは危険ではありません。気になった方はこちらをご覧ください。新しいシステムを作る段階なので、みんなで協力しながらやっていくしかないと思ってます。


この国の動きに呼応しているのが、群馬県です。


昨年末に開催された「湯けむりフォーラム2022」では、様々な分科会が開かれているのですが、デジタル化の推進がベースにあります。いろいろな分野・業界がデジタルの力でトランスフォームしていくわけです。これから数年間、そこに予算が付くことになるでしょう。


<◯地域のプライド、桐生の誇り>

桐生はかつて、繊維輸出の最盛期には、当時の国家予算の1/3を稼いでいたとも言われます。大隈重信がヨーロッパを回った時のパトロンは桐生の人だったとかも言われてます。富岡製糸工場の生糸をアメリカに輸出する時も、すでにアメリカで糸の取引をしていた黒保根出身の新井(星野)領一郎が、それをサポートしています。なので、当時は、繊維の一大産地だった桐生地域の動きの方が、県や国よりも早かったわけです。


しかし、近代国家となり、戦争を経験し、高度経済成長、バブルを終えて、街の開発も本町3丁目までで終わり、そこから桐生という土地は、成長や変化から、取り残された印象があります。取り残されたというより、群馬県の中での役割が一旦終わったのかもしれません。


物事の進め方は、ギブ・アンド・テイクです。その当時、桐生の方々が国へしてきたギブを、そろそろ国からテイクしてもらったらどうかと思います。具体的には、国の動き、県の動きに同調させつつ、桐生らしいなのかを付与していく新結合が良いと思います。この桐生らしさにデジタルの恩恵を掛け合わせるイメージです。


僕自身は、桐生の魅力は、自然にあると感じています。日本の国土の2/3は森林で、桐生の場合も約7割が森林です。今の桐生市で言えば、わずか3割の土地で、日本の国家予算の1/3を稼いでたいと思うと、なかなか興味深いです。


この”自然”を想起させるメッセージに、デジタルな手段を組み合わせることで、桐生らしさが見出せるのではないかと思っています。エネルギーとかSDGsとかものづくりとか、いろいろなエッセンスはすでにあります。それらを融合整理しながら、新しい”何か”を見出せるんじゃないかと思っています。具体的な話も出来なくはないけど、「おじさんの言うことなんて聞かなくていい」ので言わない方がいいと思います。


でも、まぁ、思いつきではあるけど、「球都桐生、全員リリーフ。」も悪くない(笑。




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